ヒューマンスキル Human Skill

第15回 ラジオ一燈塾

開催日/2024年9月23日

対談では冒頭、松村理事長との出会いやお付き合いについてお話しいただいたのち、ご自身の生い立ち、落語家を目指すようになったきっかけ、春団治師匠の内弟子としての厳しい修行の日々、そして今だからこそ話せる当時のエピソードについて伺いました。
また、ペケペン落語や創作落語、映画出演などの多岐にわたる活動の日々から「手話落語」を発案した経緯、上方落語、古典落語、寄席、若手の育成についてもお話しいただきました。

様々な困難に直面しながらも新しい道を見つけ、落語の魅力を発信し続けるプロフェッショナルの姿が垣間見られる非常に貴重な対談となっております。

ラジオ一燈塾 特別編

開催日/2024年7月15日

今回の対談では冒頭、今年4月に熊本県政史上最長となる4期16年の知事生活を終えられた感想を語っていただきました。
蒲島前知事には、本コーナーの由来となっている「一燈塾」でもご講演を賜り、「逆境の中にこそ夢がある」というテーマのもと、数々の逆境を乗り越えて熊本県政の活性化を実現されるまでのエピソードをお話しいただきました。

幼少期の暮らし、決して優等生ではなかった学生時代を経ての就職、海外への農業研修、大学進学・教授就任といった知事就任以前のエピソードから、知事としての功績、今後の展望や意気込みについてもお話いただいています。
その後、知事就任以降の財政再建、くまモンによる県のPR、災害対応、TSMC誘致など、4期にわたる華々しい功績、県庁職員や後継者の人材育成、今後の展望等についてお話いただいております。

第14回 ラジオ一燈塾

開催日/2024年8月12日

坂村真民先生の作品は1万篇以上にも及びます。その詩は日本のみならず、世界中で愛されており、愛好者が建てた詩の石碑は世界に900基を数えると言われています。平成2年、徳真会グループは創業10周年を記念し、創業の地である新潟市秋葉区にある秋葉山に全国で171番目となる「念ずれば花ひらく」の詩碑を健立、寄贈致しました。当時、82歳の坂村真民先生より、遠路四国からお越し頂き、入魂式を執り行いました。当グループ・松村理事長とも親交が深く、グループの各診療所の待合室にも真民先生の書を飾らせていただいております。

そんな坂村真民先生のご親族のお二人をお招きした今回の対談では、真民先生の生い立ちや詩を始めたきっかけ、どういった思いで詩を作っていたのかについて、真美子様からはご家族ならではのエピソードを、孝一様からは真民先生との出会いや記念館の魅力に関する話題を交えてお話しいただきました。最後には松村理事長、真美子様、孝一様からそれぞれ思い出深い詩についてもご紹介いただきました。

弱者に寄り添い癒しと勇気を与える坂村真民先生の詩は、どのように紡がれたのか。その背景に触れられる大変貴重な対談となっております。

第13回 ラジオ一燈塾 後編

開催日/2024年7月5日

2024年4月に熊本県政史上最長となる4期16年の知事生活を終えられた感想を語っていただきました。
知事就任以降の、財政再建、くまモンによる県のPR、災害対応、TSMC誘致など、4期にわたる華々しい功績、県庁職員や後継者の人材育成、今後の展望等についてお話いただいております。

第13回 ラジオ一燈塾 前編

開催日/2024年6月7日

2024年4月に熊本県政史上最長となる4期16年の知事生活を終えられた感想を語っていただきました。
その後は、幼少期の暮らし、決して優等生ではなかった学生時代を経ての就職、海外への農業研修、大学進学・教授就任といった知事就任以前のエピソードから、知事としての功績、今後の展望や意気込みについてもお話いただいています。

第12回 ラジオ一燈塾

開催日/2024年4月5日

松村理事長との出会いから、神道の歴史、箱根神社の歴史や特徴、年間2,000万人もの方が訪れる魅力、箱根という場所の特別な力についてお話しいただきました。また、神社を参拝する際の心構えや、小澤様の幼少期のエピソード、故郷の島根を出て箱根に奉職するに至った経緯のほか、ご趣味やライフワークについてもお話いただいております。

第11回 ラジオ一燈塾 後編

開催日/2024年3月29日

今回の放送では、前回の放送に続き、保育園などの学校教育の運営を始められたお話をお聞きしました。
1981年に「なかよし保育園」を開園し、1986年に「西大和学園」を初代理事長として開校されてからの、教育を通してどんな人材の育成を目指すのか、そのための取り組みについて情熱あふれるエピソードをたくさんお話しいただきました。

第11回 ラジオ一燈塾 前編

開催日/2024年3月1日

田野瀬先生の生い立ちから幼少期、学生時代の体験や、何を考えて過ごしたか、そして政治家を志すに至った経緯をお話いただきました。
また、政治家としてキャリアを重ねる中でなぜ「教育は政治上の最重要課題」と感じたのか、その実践として設立された学校法人の教育を通してどんな人材の育成を目指すのか、そのための取り組みについてお話いただきました。
三バンを持たずに政治家として活動する中で、「”教育”を自分がやらなければならない」という志を抱き、学校教育に取り組みを続ける田野瀬先生の強い志を感じる大変貴重な内容となっております。

第10回 ラジオ一燈塾

開催日/2024年2月16日

菅野先生が医師になったきっかけと、その中でも腎臓を専門分野に選ばれた理由、腎臓という臓器がどれだけ人間にとって大切かをお話いただきました。
また、東京医科大学病院腎臓内科主任教授として教鞭をとり大学病院で副院長として勤めながら、慶應義塾大学の大学院でシステムデザインマネジメント(あらゆる問題に対して、全体俯瞰的・全体統合的な視点から問題解決策を見いだし、その妥当性・有効性を検証し、それを実際に具現化し、マネジメントしていくこと)を研究された理由や、そこで学んだことが仕事へどう活かされているか、チーム医療の組織論や経営論についてお話いただきました。

第9回 ラジオ一燈塾

開催日/2024年1月19日

田邊社長がバナナ農園を経営されるに至った経緯、農園経営の中で大切にされている環境への配慮、SDGsへの取り組み、社員が誇りに思える企業づくり等についてお話しいただいております。日本と比べて政権や環境の影響を受けやすいエクアドルで、「自然との共存共栄」という理念を貫き続ける田邊社長の志が感じられる内容となっております。

ラジオ一燈塾 特別編「家族が語る 渡部昇一先生」

開催日/2023年12月29日

故 渡部昇一先生は上智大学名誉教授で英語学博士であり、歴史や政治に関する評論家として知られていますが、戦後の言論空間に風穴をあけた、勇気ある「知の巨人」と評された方です。
渡部昇一先生には、2003年9月、新潟で開催していた「一燈塾」と、2004年に「松下政経塾」で直接御講演を賜りました。

この度、特別編として渡部先生のご息女でピアニストの早藤眞子氏、ご子息でチェリストの渡部玄一氏のお二方をゲストにお招きし、お二方の音楽活動のお話や、昭和、平成の時代を代表する「知の巨人」と言われた渡部先生の教育方針、ご家族ならではのエピソードなどをお伺いした大変貴重な放送となっております。

第8回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年12月15日

公文様は、アフリカ・ケニアに住む障がいをもつ子どもたちへ質の高い教育・医療の提供をめざす「シロアムの園」を創設し、運営されています。2001年にシエラレオネを訪れた時に、毎日何人もの子どもが死んでいくのを目の当たりにし、「一人の命に関わるとはどういうことか、自分に何が出来るのか」を自問自答し続けたことをきっかけに開設されました。 障がいがあるというだけで、悪霊がとりついているでは?と考えるような社会で、公文様の「心を込めて寄り添う」療育活動により子どもに成長がみられ、その母親や家族に変化が見られ、子ども同士、家族同士がお互いを意識したり、悩みを相談したり、助け合う関係が生まれているそうです。

番組では、活動をする中で日々感じていること、運営における工夫、現地の子どもたちを取り巻く環境、施設の今後のビジョン、目指すべき社会の在り方等についてお話いただいております。

第7回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年11月17日

『Ultimate Styles Dental Laboratory』は、当グループの歯科技部門・ワールドワボのハイクオリティー部門であり、その代表を務める林直樹は、世界各地で講演を行う他、業界専門紙に写真や症例が度々取り上げられています。また、臨床写真集を出版するなど、世界を舞台に精力的に活動しています。

収録では、9月に行われた日本国際歯科大会のお話や、8月にハワイで開催された学会発表のお話、幼少期のエピソードから、歯科技工士になったきっかけ、松村理事長との出会い、渡米し現在の地位を築くまでの道のりについて語った他、自分の技術を磨いていくことへの原動力は何であるか、現在どのような思いで歯科技工士という仕事に取り組んでいるかをお話しました。

第6回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年10月20日

松村理事長とMKの先代 故 青木 定雄 会長、故 青木 秀雄 副会長とは30年以上親交があり、会長・副会長には本コーナーの由来となっている「一燈塾」でのご講演や、徳真会グループ周年記念式典にてご講演を賜りました。

今回の放送ではMKタクシーというブランドと、組織としての志を先代から引き継いだ青木社長より、今までにMKタクシーが行ってきた、タクシー業界の改革(サービスや従業員の労働環境など)や、日本社会に与えた影響、そして現在行っている取り組みや今後の展望についてお話しいただきました。青木社長の熱い思いが語られた貴重な内容となっております。

第5回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年9月15日

歌手として一世を風靡された西城秀樹氏は、17年間におよぶ闘病の末、2018年に亡くなられました。今回のゲストである 木本美紀様には、ご家族で闘われた6044日間の闘病のエピソードを、本コーナーの由来となっている「一燈塾」にて昨年お話いただきました。

今回の放送では、木本様の生い立ちや西城秀樹氏との出会い、ご家族の絆のエピソードと、木本様の今後の活動について、全国のリスナーに向けてお話いただいております。

第4回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年8月18日

桑山征洋会長が立ち上げられた株式会社桑山は、業界トップのジュエリーメーカーで、海外にも展開されています。1964年の創業以来、お客様からの信頼を第一にジュエリーの企画製造を行われ、50年余りの事業活動の中で市場領域を拡幅、先端技術と高度なクラフトマンシップの融合によるジュエリーのクリエイションを創生。その結果、国内はもとより広く海外においても、日本を代表するジュエリーメーカーとして高く評価されております。

松村理事長との出会いから、桑山征洋会長の少年時代のお話、株式会社桑山を立ち上げるまでの経緯、海外展開について、また、桑山会長が家族同然にお世話になってきた職人の方々などのお話を伺っています。

第3回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年7月21日

田上順次先生は、歯の保存治療の分野で長年にわたり世界を牽引されてきたフロンティアです。1995年から2021年まで歯の保存治療を専門とする東京医科歯科大学歯学部保存学講座(現:う蝕制御学分野)にて教授を務められ、歯学部長、大学理事、副学長を歴任、大学をご退官されてからは当グループ・クオーツデンタルクリニックの院長として、臨床やスタッフ教育にご尽力いただいております。

この日の対談では、田上先生の生い立ちから、大学でのお話や1年間のアメリカ留学のお話、接着治療・MI治療(ミニマルインターベンション/歯をなるべく削らない歯科治療)の発展の歴史、今後の展開、海外事情等を伺っています。

第2回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年6月16日

大島親方(元関脇 旭天鵬)は、2012年、当時の幕内最年長優勝を果たすなど、数々の記録を残され、「角界のレジェンド」と呼ばれています。この日の対談では、大島親方と松村理事長の出会い、少年時代のエピソード、相撲留学に至った経緯や入門当初の苦労、最年長優勝を果たした場所中のお話などをお伺いしています。

第1回 ラジオ一燈塾

開催日/2023年5月19日

ラジオNIKKEI第1にて、徳真会グループ・松村理事長がパーソナリティを務める「ラジオ一燈塾」がスタートしました。徳真会グループが1995年から主催している「一燈塾」のテーマである『信念の燈(あかり)で暗夜を照らした先駆者に学ぶ』ことを趣旨に、ゲストをお招きし、各界で活躍する先駆者たちからリーダーとしての生き方・考え方を学ぶラジオ番組です。

このたび放送された第1回のゲストは映画監督・映像アーティストの紀里谷和明さんです。
今年4月に公開された最新の映画作品のお話や、幼少時代のエピソード、渡米に至った背景や、映画の道に進むまでの経緯等を伺っています。

エムケイ株式会社 代表取締役社長・青木信明氏による「一燈塾」を開催致しました

講師/青木 信明先生

開催日/2023年4月12日

開催場所/徳真会クオーツタワー10F

4月12日、エムケイ株式会社 代表取締役社長・青木信明先生による第117回一燈塾が開催されました。

「MKの経営理念とMK進化論3.0~エネルギー&タクシーのNEXTステージ~ 」というテーマのもと、エムケイ株式会社の創業から今日までの歩み、今後の展望についてご講義いただきました。

タクシー業界参入当初、業界は挨拶をしないことが当たり前とのことでした。そんな状況を変えるため、まず取り組んだのが従業員の住環境整備であったそうです。そこから挨拶の徹底、24時間営業、身体障がい者へのサービス提供等、お客様に喜ばれる営業スタイルへと変革を遂げていきました。

今後の展望「MK進化論3.0」としてご紹介いただいたのは、営業システムのDX化やメタバース事業にとどまりませんでした。脱タクシー・脱ガソリンに向けた構想は、想像の遥か上を行くものでした。

現在もブランド力という核を活かしながら、時代に即した新しいMKの在り方を模索されている青木先生のお話に、人や組織、社会の「変えてはいけないもの・変えていくべきもの」を改めて考えた一燈塾となりました。

<青木 信明先生プロフィール>

エムケイ株式会社 代表取締役社長 1961年 京都市に生まれる 1982年 株式会社永井石油(現エムケイ石油)入社 1983年 エムケイ株式会社入社 1999年 エムケイ株式会社取締役に就任2003年 エムケイ株式会社代表取締役に就任 2018年 エムケイホールディングス株式会社代表取締役に就任

2023年3月13日 蒲島郁夫 熊本県知事による「一燈塾」を開催

講師/蒲島 郁夫先生

開催日/2023年3月13日

開催場所/徳真会クオーツタワー10F

蒲島郁夫 熊本県知事をお招きし「一燈塾」を開催致しました。
「逆境の中にこそ夢がある」というテーマのもと、数々の逆境を乗り越えて熊本県知事に就任され、今日の熊本県の活性化を実現されるまでのエピソードをお話しいただきました。

蒲島知事は2008年に知事に就任し、2020年で4期目を迎えられました。この間、挑戦を促進する県庁文化の改革、財政再建、くまモンを用いた県のPR活動、地震・コロナ・豪雨の「トリプルパンチ」への対応、復興と、数々のチャレンジを成功させてきました。

蒲島知事は「人生も政治も可能性の芸術」とおっしゃいます。本日のテーマのように「逆境の中にこそ夢」があり、その夢に向かって常に他人の期待を上回る努力を続け、失敗を恐れず冒険することの大切さを熱弁していただきました。

参加者一人ひとりが、それぞれ抱える逆境の中に夢を見出し、力強く次なる一歩を踏み出そうという希望とエネルギーをいただいた一燈塾となりました。

<蒲島 郁夫先生プロフィール>

熊本県知事 昭和40年3月 熊本県立鹿本高校卒業 昭和40年4月 稲田村農業協同組合勤務 昭和43年 農業研修生として渡米 昭和49年5月 米国ネブラスカ大学農学部卒業 昭和54年11月 ハーバード大学大学院修了(政治経済学博士) 平成3年4月 筑波大学社会工学系教授 平成9年 東京大学法学部教授 平成20年4月 熊本県知事(1期) 平成20年6月 東京大学名誉教授 平成24年4月 熊本県知事(2期) 平成28年4月 熊本県知事(3期) 令和2年4月 熊本県知事(4期)

2022年9月8日 木本美紀様による「一燈塾」を開催

講師/木本 美紀

開催日/2022年9月8日

開催場所/徳真会クオーツタワー10F

故・西城秀樹氏の妻・木本美紀様をお招きし「一燈塾」を開催致しました。
17年間におよぶ闘病の末、2018年に亡くなられた西城秀樹氏と、支え続けた家族のエピソードをお話しいただきました。

<講演テーマ>
「秀樹さんと家族の闘病6044日」

<開催場所>
徳真会クオーツタワー10F
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-10

<講師プロフィール>
1972年、大阪府生まれ。近畿大学理工学部土木工学科卒業後、 建設コンサルタント会社に就職。2001年に退職し、歌手・西城秀樹さんと結婚。 3児の母。結婚1年後から17年にわたる秀樹さんの闘病を家族全員で支え続けた。

<木本 美紀プロフィール>

1972年、大阪府生まれ。近畿大学理工学部土木工学科卒業後、 建設コンサルタント会社に就職。2001年に退職し、歌手・西城秀樹さんと結婚。3児の母。結婚1年後から17年にわたる秀樹さんの闘病を家族全員で支え続けた。

加藤三彦先生による「一燈塾」を開催

講師/加藤 三彦先生

開催日/2022年6月24日

開催場所/まつむら歯科 新津診療所

加藤三彦先生をお招きし「一燈塾」を開催致しました。

<加藤 三彦先生プロフィール>

1962年、秋田県生まれ。バスケットボール指導者。 能代工業高校二年生時にインターハイ優勝と全国高校選抜優勝の二冠、三年生時には主将として国体優勝も合わせて三冠を達成。 筑波大学を経て、全日本のメンバーにも選出された。 1987年、能代工業高校に赴任し、バスケットボール部コーチに就任。1990年、監督に昇格。 コーチ・監督を通じ、チームをインターハイ12回・ウインターカップ11回・国体7回の優勝へ導き、長谷川誠・田臥勇太ら選手を数多く育成。 2010年、西武文理大学准教授に着任。 2011年4月より同大学に新設されたバスケットボール部の監督。 2002年に日本青年会議所主催の人間力大賞、2006年に文部科学大臣優秀教員表彰、2008年に秋田県教育委員会から「感謝状」を授与された。

「2022年度 新入社員 入社講話」を実施

開催日/2022年4月1日

開催場所/まつむら歯科 新津診療所

2022年4月1日、徳真会グループの各地区の拠点で入社式が行われました。

今年度、徳真会グループは歯科医師、歯科衛生士、歯科助手・受付、歯科技工士合わせて86名の新入社員を迎え入れました。

当日はWEB会議システムを通じて、徳真会グループ代表の松村より全国のスタッフにご講話いただきました。
社会人として、徳真会グループで働くスタッフとしての「心構え」や「考え方」、徳真会グループの企業理念である「誇り」を持ったスタッフへと成長してほしいといったお言葉が新入社員へ送られました。
当グループへの理解を深め、患者さまのために貢献できるスタッフが育つよう先輩スタッフ一同指導を行ってまいります。

徳真会グループは今後とも、時代をリードする医療人財の育成を通じ、地域社会と業界の発展に貢献してまいります。

東郷重興先生による「第112回 一燈塾」

講師/東郷 重興先生

開催日/2019年10月15日

開催場所/徳真会クオーツタワー 10階 クオーツギャラリー

徳真会クオーツタワーにて、元日本債券信用銀行頭取の東郷重興先生による第112回一燈塾が開催されました。

テーマは「平成金融危機と日債銀事件~失われた20年を振り返る~」。

始めに、バブルから平成金融危機に陥るまでの状況についてお話いただきました。1980年代後半に日本は不動産バブル、財テクブームの中にありましたが、その後1993年には金融危機を迎えます。

東郷先生はその金融危機の最中、1995年に国際局長に就任。その後大和銀行事件などを経て1年で国際局長は退任され、日債銀へ転出されました。

日債銀では、約2か月の期間で2900億の増資などを行うなど、不良債権処理に取り組まれました。

1998年には日債銀を国有化、三井信託銀行と合併することとなり、金融危機は終息を迎えていきます。
2001年に日債銀はあおぞら銀行と名前を変えておりますが、今でも東郷理事長に恩義を感じていらっしゃる方が多く、依然と変わらず関わりを持っていらっしゃるそうです。

また終わりには12年間の裁判生活をを振り返り、その中での苦労などもお話いただきましたが、この期間も悪いものではなかったと仰っていたことがとても印象的でした。

最後に、当グループ代表の松村より、「六然」の中でも「失意泰然」が最も難しいというお話をさせていただきました。困難や逆風の中で、いかに坦々とやるべきことをやるか、ということです。東郷先生は一連の危機的な状況の中で、まさにこの「失意泰然」の姿勢を貫かれた、大変偉大な先生であると実感しました。

今回は金融に関してのご講義でしたが、その歴史について興味を持つ、大変良い機会となりました。

<東郷 重興先生プロフィール>

1943年、千葉県市川市生まれ。東京大学法学部卒。 1966年 大学卒業後日本銀行に入行し主に国際部門に勤務(ニュ―ヨーク、ロンドン、香港に約10年) 1966年 国際局長を最後に日本銀行を辞し、バブル崩壊後の平成金融危機の中、日本債券信用銀行に転出。 翌年6月副頭取、8月頭取に就任し同行の経営再建に努めるも報われず、1998年末日本債券信用銀行は公的管理の通告を受け破綻。翌年同行での粉飾決算の罪で逮捕、起訴されたが、12年間の法廷闘争の末に2011年8月無罪を勝ち取る。

羽生善治先生による「第111回 一燈塾」

講師/羽生 善治先生

開催日/2019年1月21日

開催場所/徳真会クオーツタワー 10階 クオーツギャラリー

徳真会クオーツタワーにて棋士の羽生善治先生による第111回一燈塾が開催されました。前回おこしいただいた際は、棋士として、勝負についてお話いただきました。今回は「AI時代の未来」というテーマのもと、前回とは少し毛色の違ったお話をいただきました。

前半は、AIのルーツ、歴史のお話から始まり、ボードゲームにおけるAIの進歩についてお話しいただきました。二十数年前は、100万局面以上のデータベース、1秒に2億局面読むハードウェアが存在するも、一つ一つの局面を様々な基準から“評価する”ことが苦手だったそうです。その後、画像認識の技術が向上すると、“将棋を指す”という観点から、“正方形の空間における動きを捉える”という観点に転換し、大きな進歩を遂げたそうです。進歩の次元がダイナミックな点が、大変興味深かったです。

後半は、一般社会におけるAIの未来についてお話いただきました。日本においてAIは、農業や漁業の分野で伸びるのではないかとおっしゃっていました。これらは、感覚的に実行することはできても、言葉や数値に置き換えるのが難しいこと(暗黙知)を扱う分野です。そして、このようにAIは、AI単体として進歩するのではなく、他の産業とのコラボレーションによって進歩するのではないかという見解を示されました。そのコラボレーションの在り方を生み出すことに、人間の大きな可能性があるのではないかとおっしゃっていました。

講義の中で何より印象的だったのは、将棋の世界には「棋は対話なり」という言葉があり、対局中は相手と会話している感覚があるのに対し、AIとの対局にはそれがない、というお話でした。

AIなどの最新技術の進歩、研究動向に対する鋭い視点と、自らの専門分野における研ぎ澄まされた感覚が、羽生先生の、人々に感動をもたらす偉業を生み出したのだと思いました。

<羽生 善治先生プロフィール>

1970年 埼玉県所沢市出身。6歳から将棋を始める 1982年 6級で二上達也九段に入門 1985年 15歳で四段に昇段しプロ入り 1989年 19歳で初タイトル竜王を獲得 1996年 当時の7つのタイトルをすべて獲得 名人、竜王、棋聖、王座、王位、棋王、王将の7つの永世資格を持つ(襲名は引退後) 2018年 国民栄誉賞受賞

小田全宏先生による「第110回 一燈塾」

講師/小田 全宏先生

開催日/2018年10月9日

開催場所/徳真会クオーツタワー 10階 クオーツギャラリー

株式会社ルネッサンス・ユニバーシティ代表取締役 小田全宏先生を講師としてお招きし、第110回 一燈塾を開催いたしました。「ジャパン・スピリット」というテーマのもと、日本の神話や歴史にみる「日本の素晴らしさ」についてご講義いただきました。

神話からは、「みそぎ」や、鏡を祀ることの意味などを教えていただきました。歴史からは、沖縄の「島唄」が「ひめゆりの塔」の出来事を思ってつくられた歌であることや、昭和天皇が戦争の全責任を負い、死ぬ覚悟で日本を守ってくださったことなどを学びました。

天台宗を開いた最澄の言葉に「一隅(いちぐう)を照らす、 これ則(すなわ)ち国宝なり」というものがあるそうです。さらに、「一燈照隅 万燈照国」という言葉があり、「一人の力では隅しか照らせないが、それがたくさん集まれば国を照らすことができる」ということを表しているそうです。

小田先生は、教育や、この日お話いただいたような日本の素晴らしさを人々に伝承することを通じて、一隅を照らすとおっしゃっています。私たちも、それぞれがそれぞれの輝ける場で、一隅を照らす存在となれるよう、精一杯生きたいと思いました。

<小田 全宏先生プロフィール>

東京大学法学部卒業 株式会社ルネッサンス・ユニバーシティ 代表取締役 アクティブ・ブレイン協会 会長 1958年 滋賀県彦根市生まれ。東京大学法学部を卒業後、(財)松下政経塾に入塾。松下幸之助翁指導のもと、一貫して人間教育を研究。 1991年 株式会社ルネッサンス・ユニバーシティを設立。多くの企業で「陽転思考」を中心とした講演と人材教育実践活動を行い好評を博す。 1996年 リンカーン・フォーラムを設立し、全国で立候補者による<公開討論会>を実現させる。京セラの稲盛和夫名誉会長を最高顧問に迎え、NPO法人「日本政策フロンティア」を設立し、理事長を務める。傍ら、認定NPO法人「富士山世界遺産国民会議」運営委員長として世界遺産登録の実績を残す。 2004年 「アクティブ・ブレインセミナー」は全国で好評開催中。 2007年 サントリーホールにてフルートリサイタルを開催。その後、作曲もてがける。 2011年 サントリーホール大ホールにて、自作の交響組曲「大和」をオーケストラの演奏で指揮をする。

山下泰裕先生による「第109回 一燈塾」

講師/山下 泰裕先生

開催日/2018年3月27日

開催場所/徳真会クオーツタワー 10階 クオーツギャラリー

徳真会クオーツタワーに元全日本柔道選手でロサンゼルスオリンピック柔道 金メダリストの山下 泰裕先生を講師としてお招きし、「一燈塾」を開催いたしました。
山下先生をお招きしての一燈塾として5回目となった今回は、「我が柔道人生を語る」というテーマでご講義いただきました。

特に印象的だったのは、講演時間の多くを、お世話になった恩師の方々への感謝のお気持ちや、他者を思いやるお気持ちを語ることに割かれていたでした。山下先生に柔道をお教えになった先生方だけでなく、問題のあった学生や、ご自身の自閉症のご次男様の教育からも、多くのことを学ばれたそうです。

また、夢の力、思いの大切さを語られたお話も大変印象的でした。人は不思議と、同じ思い、同じ志をもった人と出会うことができ、その思いもよらぬ出会いの連続が、人生を豊かに彩っていくとおっしゃられていました。強い「思い」をもつことの大切さを、改めて実感しました。

柔道の創始者である加納治五郎が普及を目指した「柔道で学んだことを日常生活に生かし、社会をよりよくする」という精神が山下先生のお心にいかに根付いているかを強く感じたご講義となりました。

<山下 泰裕先生プロフィール>

1957年 熊本県上益城郡矢部町生まれ。 現役時代は、1977年から1985年まで全日本柔道選手権9連覇、 1984年ロサンゼルスオリンピック優勝などの成績をおさめ、公式戦203連勝を達成し、1985年に現役を引退する。 引退後は全日本柔道男子強化ヘッドコーチ、国際柔道連盟教育コーチング理事などを歴任した。 現在は東海大学理事・副学長、国際柔道連盟理事、全日本柔道連盟会長 、日本オリンピック委員会理事・強化本部長、ナショナルトレーニングセンター(NTC)長、認定NPO法人柔道教育ソリダリティー理事長などを務める。 柔道8段。国民栄誉賞、紫綬褒章、ロシア連邦「友好勲章」等、数多くの受賞歴あり。

羽生善治先生による「第108回 一燈塾」

講師/羽生 善治先生

開催日/2017年9月28日

開催場所/徳真会クオーツタワー 10階 クオーツギャラリー

徳真会クオーツタワーに将棋棋士の羽生善治先生を講師としてお招きし、「一燈塾」を開催いたしました。
「決断力を磨く」というテーマのもと、将棋界で初めて七冠を独占した羽生善治先生の“決断力の磨き方”についてお話しをいただきました。

決断力を磨く3つの要素
将棋では、10代から70代まで、どの年齢においても、以下の3つの要素を使って決断をしていると考えられているそうです。

 ・直感  推理によらず、直接的・瞬間的に、物事の本質をとらえること
 ・読み  未来を予測する、シミュレーションをするということ
 ・大局観 具体的な選択・決断よりも、今後の方針を決めること

どの年齢においても、上記の3つを使って決断していることに変わりはありませんが、使っている比重が年齢によって異なるそうです。若い時は、読みや記憶が中心になりますが、ある程度年数を重ねてくると、直感や大局観を使うようになり、足し算ではなく、引き算で考えることが出来るようになるとおっしゃっていました。

長考に好手なし
対局は、非常に長い時間をかけて行われますが、将棋界には「長考に好手なし」という言葉があります。この意味は、熟考したからといって、必ずしも良い選択、判断が出来るとは限らないということです。羽生先生ですら、対局中に良い手を考えすぎてしまうと、細かいことに気をとられ、誤った手を指してしまうことが多々あるそうです。

不調も3年続けば実力
将棋界には「不調も3年続けば実力」という言葉があります。不調だと感じたときには、まずは自分が不調なのか、あるいは実力なのかを見極めることが大切だそうです。不調だった場合は、やっていることは間違っていないけれども、結果がすぐに出ないという場合もあるため、まずはやり続けること。実力だった場合は、素直に・真摯に受け止めること。

まとめ
今回は、長年勝負の世界で生きてきた、羽生先生の決断力の磨き方について教えていただきました。
ご自身の実体験を交えながら、決断に迫られたときに誤った選択・判断をしてしまったときの対処法や、3手先の読みについても掘り下げていただきました。現在のめまぐるしいIT技術の進化に伴い、情報も物も人も溢れている世の中において、決断力を磨くことの重要性について考えさせられる一燈塾となりました。

<羽生 善治先生プロフィール>

1970年 埼玉県所沢市出身。6歳から将棋を始める 1982年 6級で二上達也九段に入門 1985年 15歳で四段に昇段しプロ入り 1989年 19歳で初タイトル竜王を獲得 1996年 当時の7つのタイトルをすべて獲得 名人、竜王、棋聖、王座、王位、棋王、王将の7つの永世資格を持つ(襲名は引退後) 2018年 国民栄誉賞受賞

神渡良平先生による「第106回 一燈塾」

講師/神渡 良平先生

開催日/2017年4月25日

開催場所/徳真会クオーツタワー

4月25日、徳真会クオーツタワーに作家の神渡良平先生を講師としてお招きし、
第106回 一燈塾が開催されました。テーマは、「人は何によって輝くのか」。

38歳のときに脳梗塞で倒れ、半身不随となった神渡先生。
職を失い、どのように身を立てるか悩んでいるときに安岡正篤氏の教えにふれます。
それは「どんな人間にも、一隅を照らすことはできる」ということ、
孟子や孔子も説いているように「全ての人に自分の役割がある」ということでした。

これをきっかけに、脳梗塞を天が自分に与えた意味のある試練と捉え、リハビリに励み、
目覚めさせてくれた安岡氏について執筆することを決心されたそうです。

4年をかけて執筆したその本はベストセラーとなります。
しかし、母親との間に確執があり、心の晴れない時期が続いたそうです。

そこで「内観」に出会い、母との思い出を一つ一つ振り返り、母の愛を再確認したそうです。

これらのエピソードからは、すべてのものに意味があること、
すべてのものに感謝することの大切さを教えていただきました。

そして、そのようなお話をご自身の体験だけでなく、
同様に内観を体験された侍JAPAN・小久保監督のお話や、
ナチスドイツによるユダヤ人迫害を乗り切り、「夜と霧」を著したヴィクトール・フランクルのお話など、
数々の人物の例とともに掘り下げていただきました。

「人は何によって輝くのか」

それは、様々な出来事を真正面から受けとめること、
それによって生まれる“主体性”
とのお話でした。

現在、辛い立場や逆境に立たされている人も、
限りなく前向きな気持ちになれた一燈塾ではなかったでしょうか。

<神渡 良平先生プロフィール>

1948 年鹿児島生まれ。九州大学医学部を中退後、雑誌記者などの職業を経て、作家に。38 歳のとき脳梗塞で倒れ一時は半身不随となるが、必死のリハビリによって社会復帰を果たす。そしてこの宇宙には大きな仕組みがあり、それに即した建設的で前向きな生き方をしたとき、実りある人生が築けることに目覚めていく。この闘病体験から、「人生は一度だけ。貴重な人生をとりこぼさないためにはどうしたらよいか」という問題意識が作品の底流となっている。  近著に『アメイジング・グレイス――魂の夜明け』(廣済堂出版)、『苦しみとの向き合い方 言志四録の人間学』『中村天風人間学』『敗れざる者 ダスキン創業者鈴木清一の不屈の精神』『一隅を照らす生き方』(以上、PHP 研究所)、『安岡正篤の風韻(ふういん)』(同文舘出版)、『下坐(げざ) に生きる』『宇宙の響き 中村天風の世界』『安岡正篤 立命への道』(以上、致知出版社)、『安岡正篤 珠玉の言葉』『安岡正篤 人生を拓く』『中村天風 幸せを呼び込む思考』(以上、講談社新書)、『安岡正篤 人生を変える言葉 古典の活学』『安岡正篤人間学』(講談社文庫)、『マザー・テレサへの旅路』(サンマーク出版)などがある。

佐々木則夫先生による「第105回 一燈塾」

講師/佐々木 則夫先生

開催日/2016年10月13日

開催場所/まつむら歯科 新潟診療所

元サッカー日本女子代表監督 佐々木 則夫 先生をお招きし、「第105回 一燈塾in新潟」を開催いたしました。

<佐々木 則夫先生プロフィール>

昭和33年 山形県生まれ 帝京高校・明治大学を経てNTT関東サッカー部で選手として活躍。 現在はプロサッカー指導者の他、十文字学園女子大学副学長、びわこ成蹊スポーツ大学特任教授、尾花沢ふるさと大使、つや姫大使など、幅広い方面で活躍中。 さいたま市在住。 1990年…現役引退、NTT関東サッカー部・大宮アルディージャでコーチ、監督を歴任 2006年…日本サッカー協会 なでしこジャパン(日本女子代表)コーチ就任 2007年…日本サッカー協会 なでしこジャパン(日本女子代表)監督就任 2008年…東アジア女子サッカー選手権に優勝し、日本初のタイトルをもたらす 北京オリンピック ベスト4 2010年…東アジア女子サッカー選手権で2度目の優勝 2011年…FIFA女子ワールドカップ ドイツ2011で日本サッカー初の世界一へ導く 2012年…ロンドンオリンピック 銀メダル獲得(日本サッカー史上初) 2014年…AFC女子アジアカップ 優勝 2015年…FIFA女子ワールドカップ カナダ2015 準優勝 【受賞歴】 2011年…国民栄誉賞(サッカー日本女子代表)、紫綬褒章、AFC最優秀監督賞、明治大学特別功労賞、ゆうもあ大賞、財界賞特別賞、尾花沢市市民栄誉賞、山形県県民栄誉章、さいたま市民栄誉賞、文部科学省スポーツ功労賞 2012年…FIFAバロンドール女子最優秀監督賞(2011年年間表彰)、尾花沢市特別功労賞、ベストドレッサー賞 2015年…さいたま市長特別賞、尾花沢市市民特別功労賞、埼玉県民栄誉章、山形県スポーツ大賞 【著書】 「なでしこ力」(佐々木則夫)・・・・・・・講談社 「なでしこ力 次へ」(佐々木則夫)・・・・講談社 「勝つ組織」(佐々木則夫 山本昌邦)・・・角川書店 【ホームページ】 佐々木則夫オフィシャルサイト  http://junon.co.jp

佐々木則夫先生による「第104回 一燈塾」

講師/佐々木 則夫先生

開催日/2016年7月5日

開催場所/あすと長町デンタルクリニック

7月5日 あすと長町デンタルクリニックにて第104回「一燈塾 in 仙台」が開催されました。
講師は佐々木則夫先生をお招きし、なでしこジャパン監督、プロサッカー指導者としての経験を通して得た 「佐々木流マネジメント」というテーマでご講演いただきました。

佐々木先生はチームをマネジメントする上で夢や目標を高揚させること、戦略・戦術を全体で徹底すること、プレーヤーズファーストの精神を浸透させることなど、選手・運営スタッフ全体が同じ方向に向かうことが重要だとおっしゃっていました。
徳真会でもクリニック・ワールドラボ・ゼネラルが同じ方向で、同じ理念を持つことが大切なのだとあらためて気を引き締めることができました。

また、女子サッカー選手の強みを活かした教育を行う上で、時には厳しい言葉で指導してしまう場面もあったそうです。
そのような時には、自身の反省も交えて伝えたい事を熱心に語ることがアフターフォローになるとも教えてくださいました。

今回は指導者の視点から、マネジメントについて、また、指導する側だけではなく指導を受ける側からも知っておくべき教訓をたくさんいただきました。

素晴らしいご講演を賜り、佐々木則夫先生には厚く御礼申し上げます。

<佐々木 則夫先生プロフィール>

昭和33年 山形県生まれ 帝京高校・明治大学を経てNTT関東サッカー部で選手として活躍。 現在はプロサッカー指導者の他、十文字学園女子大学副学長、びわこ成蹊スポーツ大学特任教授、尾花沢ふるさと大使、つや姫大使など、幅広い方面で活躍中。 さいたま市在住。 1990年…現役引退、NTT関東サッカー部・大宮アルディージャでコーチ、監督を歴任 2006年…日本サッカー協会 なでしこジャパン(日本女子代表)コーチ就任 2007年…日本サッカー協会 なでしこジャパン(日本女子代表)監督就任 2008年…東アジア女子サッカー選手権に優勝し、日本初のタイトルをもたらす 北京オリンピック ベスト4 2010年…東アジア女子サッカー選手権で2度目の優勝 2011年…FIFA女子ワールドカップ ドイツ2011で日本サッカー初の世界一へ導く 2012年…ロンドンオリンピック 銀メダル獲得(日本サッカー史上初) 2014年…AFC女子アジアカップ 優勝 2015年…FIFA女子ワールドカップ カナダ2015 準優勝 【受賞歴】 2011年…国民栄誉賞(サッカー日本女子代表)、紫綬褒章、AFC最優秀監督賞、明治大学特別功労賞、ゆうもあ大賞、財界賞特別賞、尾花沢市市民栄誉賞、山形県県民栄誉章、さいたま市民栄誉賞、文部科学省スポーツ功労賞 2012年…FIFAバロンドール女子最優秀監督賞(2011年年間表彰)、尾花沢市特別功労賞、ベストドレッサー賞 2015年…さいたま市長特別賞、尾花沢市市民特別功労賞、埼玉県民栄誉章、山形県スポーツ大賞 【著書】 「なでしこ力」(佐々木則夫)・・・・・・・講談社 「なでしこ力 次へ」(佐々木則夫)・・・・講談社 「勝つ組織」(佐々木則夫 山本昌邦)・・・角川書店 【ホームページ】 佐々木則夫オフィシャルサイト  http://junon.co.jp

山下泰裕先生による「第103回 一燈塾」

講師/山下 泰裕先生

開催日/2016年6月14日

開催場所/徳真会クオーツタワー 10階 クオーツギャラリー

6月14日、徳真会クオーツタワーにて山下泰裕先生による一燈塾が開催されました。テーマは「夢への挑戦」。

山下先生は、ロサンゼルスオリンピック柔道金メダル、そして公式戦203連勝という輝かしい成績を残されました。現在は柔道やスポーツを通して「人づくり、人間教育」を目指して全日本柔道連盟をはじめ、様々な団体やプロジェクトにて活躍されています。

今回の山下先生のお話は、ロサンゼルスオリンピックで金メダルに輝くまでの道のりではなく、主にその後の活動や現在の山下先生の人格がつくられていった過程について語られました。 特に印象深かったエピソードは、ロサンゼルスオリンピックを機に現役を引退された山下先生が大学柔道部にて教育者として活動を始められときのお話です。

当時、大学4年生だった柔道部の生徒は山下先生から見ると、モチベーションが低 く、楽な方ばかりを選ぶ生徒として映っていました。しかし、ネガティブな印象と裏 腹にその生徒は白血病の子供のお見舞いに通い詰めるという、優しい一面を持って いました。

それを機に山下先生は、どんな人にも必ず光り輝く一面があること、また同時にそれまで自身がそういった生徒としっかりと向かい合っていなかったのだということに気付かれたそうです。

「叱ることも大事だけれども、一人ひとりのいいところを引き出し光を当てることで、十人十色の輝きが生まれるのではないか。加えて、教育者として人を多面的に見ていく必要がある」と。

その後は多くの生徒との良好な関係を築くことが出来たそうです。

山下先生が人生にかけた「夢への挑戦」とは
・子供たちが柔道をすることを楽しみにするような時代が来ること。
・柔道は人間教育だと言われるようになること。
・こういう柔道界をつくりたい。

様々な失敗や苦悩を超えて、夢に向かって突き進まれる山下先生の姿勢に感化され方も多いのでは。

私たちもこのような姿勢をもって、大きな夢に向かって取り組んでまいります。

<山下 泰裕先生プロフィール>

1957年 熊本県上益城郡矢部町生まれ。 現役時代は、1977年から1985年まで全日本柔道選手権9連覇、 1984年ロサンゼルスオリンピック優勝などの成績をおさめ、公式戦203連勝を達成し、1985年に現役を引退する。 引退後は全日本柔道男子強化ヘッドコーチ、国際柔道連盟教育コーチング理事などを歴任した。 現在は東海大学理事・副学長、国際柔道連盟理事、全日本柔道連盟会長 、日本オリンピック委員会理事・強化本部長、ナショナルトレーニングセンター(NTC)長、認定NPO法人柔道教育ソリダリティー理事長などを務める。 柔道8段。国民栄誉賞、紫綬褒章、ロシア連邦「友好勲章」等、数多くの受賞歴あり。

塩沼 亮潤大阿闍梨先生による「第102回 一燈塾」

講師/塩沼 亮潤 大阿闍梨先生

開催日/2015年6月5日

開催場所/あすと長町デンタルクリニック

「あすと長町デンタルクリニック」にて6月5日に
【第102回】一燈塾in仙台を開催致しました。

今回は、慈眼寺住職 塩沼 亮潤大阿闍梨 先生に
「毎日が小さな修行」というテーマでご講演頂きました。

<塩沼 亮潤 大阿闍梨先生プロフィール>

昭和43年 宮城県仙台市生まれ 昭和61年 東北高校卒業 昭和62年 吉野山金峯山寺で出家得度 平成 3年 「大峯千日回峰行」入行 平成11年 「大峯千日回峰行」満行 (千日間、1 日48km巡行) 平成12年 「四無行」満行 (9日間、断食・断水・不眠・不臥) 平成18年 「八千枚大護摩供」満行(100日間、塩断ち、五穀断ち後、一昼夜護摩供) 現在 仙台市秋保・慈眼寺住職 / 大峯千日回峰行大行満大阿闍梨

第100回「一燈塾in仙台」

講師/橋 幸夫先生

講師/三浦 雄一郎先生

講師/紀里谷 和明先生

開催日/2014年11月30日

開催場所/あすと長町デンタルクリニック

<講演テーマ・講師>
①『人生は出逢い!一生健康、一生学習』
  歌手・俳優 橋 幸夫先生

②『希望への軌跡 ~80歳エベレスト登頂への道~』
  プロスキーヤー 三浦 雄一郎先生

③ 三者対談「それぞれの道」
  進行役:歌手・俳優 橋 幸夫先生

プロスキーヤー 三浦 雄一郎先生
映画監督 紀里谷 和明先生
医療法人徳真会グループ理事長 松村博史

<橋 幸夫先生プロフィール>

演歌歌手 役者 1960年デビュー曲「潮来笠」の爆発的大ヒットで、日本レコード大賞新人賞の第一号受賞者となる また、その年のNHK「紅白歌合戦」の出場から連続17回、計19回出場 老人性認知症の実母と橋幸夫一家の物語を描いた「お母さんは宇宙人」がベストセラーになり、日本の老人医療・介護問題に一石を投じる 今年2010年、芸能生活50周年を迎える

<三浦 雄一郎先生プロフィール>

プロスキーヤー 冒険家 1932年青森市に生まれる。 北海道大学獣医学部卒業後、1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。 1970年エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。 1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。 2003年、5月、次男で元オリンピック選手の豪太とともに世界最高峰エベレスト山(8848m)登頂。当時の世界最高年齢登頂(70歳)と初の日本人親子同時登頂の記録を樹立。 2008年5月、75歳にてエベレスト2度目の登頂を果たす。アドベンチャー・スキーヤーとしてだけでなく、全国に1万人いる広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長として、また行動する知性人として国際的に活躍中。 記録映画、写真集、著書多数。

<紀里谷 和明先生プロフィール>

映画監督 1968年熊本県生まれ 1983年に渡米し、ニューヨークをベースにフォトグラファーとして活動 1994年から、宇多田ヒカル、SMAP、大黒摩季、MISIA、ザザンオールスターズなどの CDジャケットやミュージックビデオを手がける 映画監督としても活躍の場を広げており、2004年に「CASSHERN」、2009年に「GOEMON」を公開

古葉 竹識先生による「第99回 一燈塾」

講師/古葉 竹識先生

開催日/2014年8月20日

8月20日(水)目黒にて、一燈塾が開催されました。
今回は、野球解説者で東京国際大学硬式野球部監督、
元プロ野球選手・監督の古葉竹識監督を講師にお迎えしました。

「二重人格」だと言われる程に厳しく指導してこられた監督時代のお話からは、
厳しさの裏にある、監督としての責任感と選手たちへの思いやりの気持ちの強さを感じました。
自分の役割に責任感を持つことと、チームのメンバーを思いやることが、
チームプレーの上で大切であるということを学びました。
それは野球だけでなく、普段の業務をしていく上でも通じることだと感じました。

「医療は人なり」という理念のもとに、チーム医療を展開し、
患者様本位の医療を展開してきた徳真会グループにとって、
大変有意義なご講義を頂きました。

<古葉 竹識先生プロフィール>

野球解説者 東京国際大学硬式野球部監督 元プロ野球選手・監督 1963年生まれ 京都府京都市南区出身 1958年広島カープ入団 1964年、1968年盗塁王に輝く この事がのちの監督時代のチーム作りの礎となった 1975年5月広島カープ監督就任 広島カープ創立26年目にして、セ・リーグ初優勝を果たす 「本当に優勝したんですね」の名言を残す 著書「耐えて勝つ」出版 【監督通算成績】 873勝791敗137分/リーグ優勝4回/日本一3回/最優秀監督賞4回

深谷 隆司先生による「第98回 一燈塾」

講師/深谷 隆司先生

開催日/2014年1月29日

1月29日(水)目黒にて、一燈塾が開催されました。
今回は、自民党政経塾塾長、自民党都連最高顧問の深谷隆司先生を講師にお迎えしました。

「人生は一炊の夢」のお話をもとに、
悠久の人生ではないので、毎日の努力が大切であり、
そのために大事なことを教えて頂きました。

その中で、生きていくのであれば、
エリートになることが大切であるということを語っていただきました。
先生のおっしゃられるエリートとは、
知性と教養があり、行動が早く、愛国心のある人のことだそうです。

また、ご自身が終戦後に満州からの引き上げをされてきた際の壮絶な体験を通して、
先人たちがどんな思いで日本を立て直してきたかを次の世代に伝えていき、
一人一人が日本人としての誇りを取り戻すことが大切であるということを語っていただきました。

グローバルな展開を行っている徳真会グループにとって、
今後の活力となるような素晴らしいご講義を頂きました。
今後も現状に満足することなく、
自信と誇りをもって、患者様のためにたゆまぬ努力と挑戦を続けていきます。

<深谷 隆司先生プロフィール>

1935年9月29日浅草生まれ。 自民党東京都連最高顧問。TOKYO 自民党政経塾塾長。温故知新塾塾長。27歳で台東区議会議員に当選。33歳で都議会議員を経て、37歳で衆議院議員となる。当選9 回。郵政大臣(第52代)、自治大臣(第47代)、国家公安委員会委員長(第57代)、通産産業大臣(第64代・65代)、自由民主党総務会長(第39代)、予算委員長、テロ対策特別委員長を歴任。

平尾 誠二先生による「第97回 一燈塾」

講師/平尾 誠二先生

開催日/2013年11月

今回の講師は、元ラグビー日本代表選手・監督、 現神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーの平尾 誠二氏でした。
山口良治先生の指導のもとラグビー全国高校選手権大会で優勝した高校時代、 ラグビー界での全国制覇記録を塗り替え続けてきた大学、社会人選手時代、 日本代表監督時代、そして現在まで、それぞれご経験されてきたことを、 「ラグビーに学ぶ、リーダーシップと強い組織づくり」というテーマでご講義いただきました。
日本人は恥に抵抗のある人種で、 恥があることにより自ら壁を作ってしまい、自分の成長を妨げてしまっている。 「思ってたのと違う」「自分には合わない」などと言い訳をせずに、 困難に立ち向かって一山越えた先には、 新しい自分の能力が見つかるということを教えていただきました。
また『美意の按配』という言葉があり、 何か良くない出来事が起こった時に、 不幸ととらえるか、後になって役に立つ経験となる神の采配であるととらえるか、 とらえ方や心の持ち方次第で状況が変わるので ポジティブにとらえることが大切であるというメッセージを頂きました。
一見、良くない出来事だと思われる事に直面しても、 『美意の按配』であるとポジティブにとらえることの大切さを学ぶことができました。

<平尾 誠二先生プロフィール>

1963年 京都市生まれ。 同志社大学大学院「総合政策科学研究科」 修士課程修了。 1975年 京都市立陶化中学入学と同時にラグビーを始める。 伏見工業高校3年時、全国大会優勝。 同志社大学在学中、史上初の大学選手権3連覇に貢献。 卒業後、1年間の英国留学を経て、1986年に(株)神戸製鋼所に入社。 入社3年目よりチームを7年連続日本一に導く。 1987,1991,1995年のワールドカップに、3大会連続して出場。 1991年時はキャプテンを務め、日本代表初勝利を飾る。日本代表キャップ35。 現役引退後は、1997年から2000年まで日本代表監督を務め、1999年のワールドカップにチームを導く。 神戸製鋼ラグビー部では、ゼネラルマネージャーとしてチームの運営にあたる。 一方で、2000年、「スポーツに関心を寄せるすべての人々のコミュニティーの健全な発展に寄与する」ことを目的に、特定非営利活動法人 スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(略称SCIX)を設立し、理事長に就任。 2011年2月 文部科学省 中央教育審議会 委員に就任。 2012年5月(財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会 理事 就任。 ※2006年4月~2007年3月 (財)日本ラグビーフットボール協会 理事 ※2008年7月~2010年7月 (財)日本サッカー協会 理事

蒲島 郁夫先生による「第96回 一燈塾」

講師/蒲島 郁夫先生

開催日/2013年7月

高卒で農協に務めた後、アメリカに渡り苦学の末、ハーバード大学大学院で博士課程を取得され、東京大学の教授となった異色の経歴を持つ蒲島郁夫熊本県知事から、「行政の新フロンティア」という演題で、「人生の可能性」「蒲島県政」「くまモンの政治経済学」の3点からお話をして頂きました。

知事の半生を振り返りながら、人生が拓けたのは、貧困の環境の中でも逆境を逆境ととらえず、前向きに努力をしてきたことにその理由があり、それは、不況下でもダイナミックな政策を実行し続けることができた県政運営に活きているとお話頂きました。 そして、ここ最近のくまモンの人気ぶりもただの偶然や、単にキャラクターのかわいさだけではなく、たくさんの戦略の効果であるということも、とても興味深く拝聴することができました。

また、「皿を割ることを恐れるな(失敗を恐れずチャレンジするように)」、「できないと思うな、どうしたらできるか考えろ」、「国に頼るな、他県と比べるな、全国をリードせよ」、という考えを職員に示し、『管理型・指導型の行政』ではなく、『みんなでシェアする行政』という知事独自の運営方針で、チーム全体でアイデアを出し、目標に向かって取り組まれているという点に多くの気づきを得ました。

「医療は人なり」という理念のもとに、チーム医療を展開し、患者様本位の医療を展開してきた徳真会グループにとって、大変心に響く有難いご講義を頂きました。

<蒲島 郁夫先生プロフィール>

熊本県知事 昭和40年3月 熊本県立鹿本高校卒業 昭和40年4月 稲田村農業協同組合勤務 昭和43年 農業研修生として渡米 昭和49年5月 米国ネブラスカ大学農学部卒業 昭和54年11月 ハーバード大学大学院修了(政治経済学博士) 平成3年4月 筑波大学社会工学系教授 平成9年 東京大学法学部教授 平成20年4月 熊本県知事(1期) 平成20年6月 東京大学名誉教授 平成24年4月 熊本県知事(2期) 平成28年4月 熊本県知事(3期) 令和2年4月 熊本県知事(4期)

福山 哲郎先生による「第95回 一燈塾」

講師/福山 哲郎先生

開催日/2013年4月

1998年の初当選から3期15年目を迎える議員経験の中で、数々の実績を残してきた福山氏。
特に、2011年の東日本大震災発生時の内閣官房副長官として、原発事故の対応に奔走された点は、歴史に残る大仕事であったといえます。 前回は、当時の臨場感のあるお話を一燈塾において語っていただきました。
しかしながら、福山氏の政治家としての強いリーダーシップは一朝一夕になったものではありません。その裏には、高い志とあくなき挑戦の連続がありました。
そこで今回は、政治を志した原点から松下政経塾時代の経験、そして初当選を果たすまでの半生を語っていただきました。

<福山 哲郎先生プロフィール>

政治家 参議院議員 元内閣官房副長官 1962年生まれ 同志社大学法学部卒業 大和証券(株)を経て、松下政経塾入塾 京都大学大学院修士課程修了 京都と東京の地域政経塾塾頭を経て、1995年さきがけ京都第一総支部長 1996年 衆院選に旧民主党より出馬(落選) 1998年 参院選京都選挙区で初当選 2002年 民主党京都府連会長に就任 2004年 参院選京都選挙区で再選(二期目)  2005年 参議院環境委員長 2007年 民主党参議院政策審議会長、民主党政策調査会長代理に就任 2008年 民主党地球温暖化対策本部事務総長に就任 2009年 外務副大臣に就任 2010年 内閣官房副長官に就任、参議院京都選挙区で再選(3期目) 2011年 参議院外交防衛委員長に就任 2012年 京都府身体障害者団体連合会会長に就任 <現職> 民主党京都府連常任顧問 京都造形芸術大学客員教授 <過去職> 内閣官房副長官

平尾 誠二先生による「第94回 一燈塾」

講師/平尾 誠二先生

開催日/2012年7月

「個」が強くならなければ、強い「組織」などつくれるはずがない。
強い「個」とは何か、リーダーに必要な要素とは何か。
強い「個」とリーダーが存在する組織とはどんな機能を果たすのか。
また、そのような組織をどう創造したらいいのか。

元ラグビーの日本代表選手であった平尾氏による ラグビーの選手や監督としての経験を通じ、学び考えた、 「人を育て、組織を動かすためには」といった、 リーダーシップ論、組織論を痛快にお話していただきました。

<平尾 誠二先生プロフィール>

1963年 京都市生まれ。 同志社大学大学院「総合政策科学研究科」 修士課程修了。 1975年 京都市立陶化中学入学と同時にラグビーを始める。 伏見工業高校3年時、全国大会優勝。 同志社大学在学中、史上初の大学選手権3連覇に貢献。 卒業後、1年間の英国留学を経て、1986年に(株)神戸製鋼所に入社。 入社3年目よりチームを7年連続日本一に導く。 1987,1991,1995年のワールドカップに、3大会連続して出場。 1991年時はキャプテンを務め、日本代表初勝利を飾る。日本代表キャップ35。 現役引退後は、1997年から2000年まで日本代表監督を務め、1999年のワールドカップにチームを導く。 神戸製鋼ラグビー部では、ゼネラルマネージャーとしてチームの運営にあたる。 一方で、2000年、「スポーツに関心を寄せるすべての人々のコミュニティーの健全な発展に寄与する」ことを目的に、特定非営利活動法人 スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(略称SCIX)を設立し、理事長に就任。 2011年2月 文部科学省 中央教育審議会 委員に就任。 2012年5月(財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会 理事 就任。 ※2006年4月~2007年3月 (財)日本ラグビーフットボール協会 理事 ※2008年7月~2010年7月 (財)日本サッカー協会 理事

瀬古 利彦先生による「第93回 一燈塾」

講師/瀬古 利彦先生

開催日/2012年7月

日本至上最強のランナー"と言われ、日本のマラソン選手の中でも輝かしい成績を残してきた瀬古氏。

「継続は力なり。されど惰性の継続は退歩だ」と語り、日々の練習に勤しんだ瀬古氏は”走る修行僧"とも呼ばれました。

今回の「一燈塾」では、日本の長距離界をリードし続けた、瀬古氏の学生時代の楽しいエピソードから現役引退後の選手育成に至るまで幅広く、笑いも交えながらの楽しい講演をしていただきました。

<瀬古 利彦先生プロフィール>

元マラソンランナー 1956年三重県桑名市生まれ 高校時代(四日市工業高)にインターハイで2年連続2冠(800メートル、1500メートル)。 福岡国際マラソンでは、学生としては異例の2連覇。 1980年エスビー食品株式会社入社。 マラソン成績は福岡国際マラソン4勝をはじめ、東京、びわ湖、ボストン、ロンドン、シカゴ等、世界の主要な大会を制し、日本のマラソンブームを創りあげた。 指導成績としては、2001年別府大分マラソン西田隆維、2002年びわ湖毎日マラソン武井隆次、2003年福岡国際マラソン国近友昭らを優勝させ、国近は2004年のアテネオリンピック日本代表となる。 また、1990年~93年に早稲田大学競走部コーチも兼任、1993年には箱根駅伝で同校を優勝に導いた。 1994年4月より財団法人日本オリンピック委員会理事に就任 2005年より財団法人日本陸上競技連盟理事。 2007年12月より東京都教育委員に任命 2011年4月より(公財)日本陸上競技連盟 理事・(特非)日本オリンピアンズ協会 理事

平尾 誠二先生による「第92回 一燈塾」

講師/平尾 誠二先生

開催日/2011年5月

中学からラグビーに打ち込み、全日本制覇を成し遂げた経験から平尾氏が学んだのは、チームメンバー一人ひとりが主体性を持ち、行動することの大切さでした。

従来の日本型の常識や固定観念にとらわれていては、刻々と流れゆく時代に対応することはできません。

スポーツにおいても、企業経営においても重要な課題である「個人」と「組織」の関係性について語っていただきました。

平尾氏の魂のこもったスポーツマンシップと熱い経営理念に触れられた一燈塾となりました。

<平尾 誠二先生プロフィール>

1963年 京都市生まれ。 同志社大学大学院「総合政策科学研究科」 修士課程修了。 1975年 京都市立陶化中学入学と同時にラグビーを始める。 伏見工業高校3年時、全国大会優勝。 同志社大学在学中、史上初の大学選手権3連覇に貢献。 卒業後、1年間の英国留学を経て、1986年に(株)神戸製鋼所に入社。 入社3年目よりチームを7年連続日本一に導く。 1987,1991,1995年のワールドカップに、3大会連続して出場。 1991年時はキャプテンを務め、日本代表初勝利を飾る。日本代表キャップ35。 現役引退後は、1997年から2000年まで日本代表監督を務め、1999年のワールドカップにチームを導く。 神戸製鋼ラグビー部では、ゼネラルマネージャーとしてチームの運営にあたる。 一方で、2000年、「スポーツに関心を寄せるすべての人々のコミュニティーの健全な発展に寄与する」ことを目的に、特定非営利活動法人 スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(略称SCIX)を設立し、理事長に就任。 2011年2月 文部科学省 中央教育審議会 委員に就任。 2012年5月(財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会 理事 就任。 ※2006年4月~2007年3月 (財)日本ラグビーフットボール協会 理事 ※2008年7月~2010年7月 (財)日本サッカー協会 理事

橋 凡子先生による「第91回 一燈塾」

講師/橋 凡子先生

開催日/2011年3月

歌手・俳優である橋幸夫氏と結婚後、 夫婦間の孤独とすれ違い、認知症の姑の介護など 幾多の困難と葛藤を乗り越えた経験が、 橋凡子氏の夫婦や家族についての考えを 深く強く、確かなものへと築き上げていきました。

妻として、嫁として、母として、 また、働く女性として、生き生きと輝き続ける橋凡子氏に 家族の大切さ、人は何のために生きるのかについて語っていただきました。

<橋 凡子先生プロフィール>

エッセイスト 1947年5月11日、熊本市に生まれ小学校4年生の時 東京に移り住む 学校を卒業後、日本航空に入社。国際線スチュワーデスとして、世界の空を飛び回る。その空の上で、歌手 橋 幸夫氏と 不思議な糸によって巡り合い、1970年6月退職、翌1971年1月26日結婚 その後、長女と長男が誕生し現在は二人の孫の祖母でもある 1982年4月から1985年3月まで、フジテレビのワイドショー司会を担当。好評を博す その間エッセイストとしても活躍、「ドアを閉めた後で」「大霊感」「菩薩拳」「魂(スピリッツ)」などがある 2001年結婚30周年に夫婦で共著した「別れなかった理由・夫婦の絆を求めて」は7万部を越えるベストセラーとなった。姑が認知症になりそれを看取った経験から、老人問題にも関心を寄せ、さらに人は何の為に生きるかと言う観点を交えながら「夢の架け橋~心の世界~」と題しての講演は、多くの人々の心を魅了し続けている

古葉 竹識先生による「第90回 一燈塾」

講師/古葉 竹識先生

開催日/2010年10月

広島の監督時代、積み重ねた711勝
機動力を中心とした「赤ヘル野球」でリーグの頂点に立った古葉監督は、ただ厳しさだけで業績を重ねたのではありません。
スイッチヒッターの育成、オールラウンドプレイヤーの要請など、古葉氏が取り組んだ改革は、球界の常識として 各球団に受け継がれています。

三年連続最下位からの優勝。
その「耐えて勝つ」という戦術・戦略とともに生み出した合理的野球は、人材を見極めることや、企業の経営にもつながる部分があります。

「勝つための条件」について、名称・古葉氏にご講演いただきました。

<古葉 竹識先生プロフィール>

野球解説者 東京国際大学硬式野球部監督 元プロ野球選手・監督 1963年生まれ 京都府京都市南区出身 1958年広島カープ入団 1964年、1968年盗塁王に輝く この事がのちの監督時代のチーム作りの礎となった 1975年5月広島カープ監督就任 広島カープ創立26年目にして、セ・リーグ初優勝を果たす 「本当に優勝したんですね」の名言を残す 著書「耐えて勝つ」出版 【監督通算成績】 873勝791敗137分/リーグ優勝4回/日本一3回/最優秀監督賞4回

三浦 雄一郎先生による「第89回 一燈塾」

講師/三浦 雄一郎先生

開催日/2010年10月

「夢」があるから努力が出来る、そしてその努力が「生きがい」となる。いくつになっても夢を持ち、あきらめないことが大切なのだと学びました。
三浦氏のお話は夢を通してこれからの私たちの「生き方」を考えさせられる内容で、大変貴重な講演となりました。

<三浦 雄一郎先生プロフィール>

プロスキーヤー 冒険家 1932年青森市に生まれる。 北海道大学獣医学部卒業後、1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。 1970年エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。 1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。 2003年、5月、次男で元オリンピック選手の豪太とともに世界最高峰エベレスト山(8848m)登頂。当時の世界最高年齢登頂(70歳)と初の日本人親子同時登頂の記録を樹立。 2008年5月、75歳にてエベレスト2度目の登頂を果たす。アドベンチャー・スキーヤーとしてだけでなく、全国に1万人いる広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長として、また行動する知性人として国際的に活躍中。 記録映画、写真集、著書多数。

橋 幸夫先生による「第88回 一燈塾」

講師/橋 幸夫先生

開催日/2010年10月

歌手として、「潮来笠」、「いつでも夢を」「霧氷」など多くのヒット曲を持つだけでなく、俳優としてお数々のドラマや舞台で 活躍されている橋幸夫氏。

橋氏の人情味あふれる思いは、歌やドラマの世界だけにとどまりません。
震災で被災した方々へ向けてのチャリティーコンサートを行ったり、認知症の実母の介護にご家族で取り組み、医療・介護問題についても 多大なる関心を寄せていらっしゃいます。

「一燈塾」では、橋氏の歌手として、また人としての生きる道を説いていただきました。

<橋 幸夫先生プロフィール>

演歌歌手 役者 1960年デビュー曲「潮来笠」の爆発的大ヒットで、日本レコード大賞新人賞の第一号受賞者となる また、その年のNHK「紅白歌合戦」の出場から連続17回、計19回出場 老人性認知症の実母と橋幸夫一家の物語を描いた「お母さんは宇宙人」がベストセラーになり、日本の老人医療・介護問題に一石を投じる 今年2010年、芸能生活50周年を迎える

杉山 邦博先生による「第87回 一燈塾」

講師/杉山 邦博先生

開催日/2010年9月

スポーツアナウンサーとして、多くの名場面を人情感あふれる言葉で中継し、 「泣きの杉山、泣かせの杉山」と呼ばれた杉山氏。
中でも、大相撲中継は45年間担当し、アナウンサーを引退された現在でも、放送ジャーナリストとしてスポーツの振興に寄与されています。

スポーツに関する豊富な知識と、スポーツにかける熱い思いがあるからこそ スポーツアナウンサーとしての道を貫いてこられた杉山氏に、「心・技・体」を磨きあげて己に打ち勝つとはどういうことかを学ばせていただいた一燈塾となりました。

<杉山 邦博先生プロフィール>

日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授 元NHKアナウンサー 1953年早稲田大学文学部卒業後、NHK入社 スポーツアナウンサーとして各種のスポーツ放送を担当 東京・メキシコオリンピックをはじめ、スポーツのビッグイベント番組を経験し豊富な知識と手堅い語り口は、専門家から高く評価されてきた なかでも、大相撲放送は45年間継続して担当 この道の第一人者

紀里谷 和明先生による「第86回 一燈塾」

講師/紀里谷 和明先生

開催日/2010年8月

写真家、ミュージッククリップ監督として多くの作品を生み出すだけでなく、「CASSHERN」「GOEMON」など、映画監督としても活躍の場を広げる紀里谷和明氏。

限界を知らないその創作意欲は、「私なんて」という概念にとらわれず、自分が正しいと思うこと、やりたいことに素直に挑戦し続けることから生み出されています。

「何かを生み出すことができるのは、自分が信じたものに妥協せず命をかけられる人」
そう語る紀里谷氏にご講演いただきました。

<紀里谷 和明先生プロフィール>

映画監督 1968年熊本県生まれ 1983年に渡米し、ニューヨークをベースにフォトグラファーとして活動 1994年から、宇多田ヒカル、SMAP、大黒摩季、MISIA、ザザンオールスターズなどの CDジャケットやミュージックビデオを手がける 映画監督としても活躍の場を広げており、2004年に「CASSHERN」、2009年に「GOEMON」を公開

伊藤 赤水先生による「第85回 一燈塾」

講師/伊藤 赤水先生

開催日/2010年7月

伊藤家の祖先が佐渡に来て300年あまり、その間途切れることなく焼き物づくりに携わってきている家の歴史を重く受け止め、試行錯誤 を繰り返し、無名異窯の伝統を守りつづけてきた伊藤赤水氏。
赤水氏が創り上げる赤と黒の「窯変」は、古代、土器が土と火の芸術であったことを思い起こさせる迫力に満ち溢れています。

『佐渡でしかできないこと』にこだわり、「無名異窯」に魂を込め続けてきた赤水氏の熱き魂に、触れることができた一燈塾となりました。

<伊藤 赤水先生プロフィール>

陶芸家 人間国宝 1941年新潟県生まれ 四代伊藤赤水の長男として生まれる 1972年第19回日本伝統工芸展入選、以降入選 1977年五代伊藤赤水を襲名 1977年日本伝統工芸展・高松宮賞 2003年重要無形文化財保持者(人間国宝)認定 2005年紫綬褒章受章 所蔵:文化庁・国立近代美術館、スミソニアン博物館、ビクトリア・アンド・アルバード美術館、メトロポリタン美術館 日本工芸会参与

孔 健先生による「第84回 一燈塾」

講師/孔 健先生

開催日/2010年5月

紀元前6世紀、中国の聖人といわれた孔子や弟子たちにより記された『論語』。
孔子の教えは、現在でも色褪せることなく、私たちが社会で生きる中で大切な道しるべを示しつづけています。

日中の友好関係促進に寄与されている孔氏に、「一燈塾」にてご講演いただきました。
中国と日本の地域性、民族性や考え方について、また、孔子が説かれた正しい生き方について学び、日常生活で重んじるべき道を見直すきっかけを頂きました。

<孔 健先生プロフィール>

孔子第75代子孫 SBI大学院大学教授 1958年生まれ 山東大学日本語学科卒業後、中国最大の政府グラフ誌「中国画報社」に勤務 1985年、中国画報社の日本総代表として来日 1996年、週報チャイニーズドラゴン新聞を日本において創刊 その編集主幹に携わる傍ら、NPO法人日中経済貿易促進協会理事長、日中文化スポーツ交流協会理事長、中国画報協会副会長、中国国学院院長、SBI大学院大学教授、孔子文化大学教授、サイバネットテクノロジ株式会社会長など兼務 孔子思想の普及、日中経済交流の促進および日中関係の改善に努めている

越智 直正先生による「第83回 一燈塾」

講師/越智 直正先生

開催日/2010年3月

世界に誇る日本の技術を守るために国内生産にこだわりつづける靴下業界の先駆者「タビオ株式会社」。

タビオ株式会社の会長 越智 直正氏は、15歳で靴下問屋に就職して以来、靴下一筋の人生を歩まれています。SCMの先進導入企業となるなど、業界内外で高い評価を受けるタビオの「モノづくりの真髄」を越智 直正氏に語っていただきました。
靴下を通して、経営とは何かを常に自問自答し続けられた越智 氏より、タビオ株式会社が今日に至るまでの軌跡をお話いただけました。

<越智 直正先生プロフィール>

タビオ株式会社 代表取締役会長 1939年愛媛県周桑郡周布村(現・西条市)生まれ 15歳の時大阪のキング靴下鈴鹿商店に丁稚奉公に入る 13年間働き続け、靴下屋になることが自分の天命だと思うようになり、28歳の時に独立 1984年駅ビル、ファッションビルに出店する「靴下屋」をフランチャイズ方式で展開 2000年10月大阪証券取引所市場第2部に上場 百貨店向けの「ショセット」という新しいブランドで全国に店舗を拡大 2002年イギリスのロンドンに「タビオ」1号店を開店

黒木 知宏先生による「第82回 一燈塾」

講師/黒木 知宏先生

開催日/2009年7月

1994年の千葉ロッテマリーンズ入団以来、チームのエースとして活躍し、一球入魂の情熱的なピッチングスタイルから、“魂のエース”と呼ばれ球界を代表する投手となった黒木氏。

野球を誰よりも愛し、野球に対する揺るぎない情熱は、見るものを魅了してやみません。 一方で、度重なる怪我による苦闘のリハビリ生活でどん底を経験され、強靱な精神力で復活を果たした姿に多くの人々が勇気を与えられました。 決して順風満帆ではなかった野球人生を通じて、様々な挑戦や葛藤と向き合ってきた黒木氏が現在も大切にしていることは、「一日一回、全力を出すこと」。 今もなお、挑戦し続ける、黒木氏の心の叫びをお話いただきました。

<黒木 知宏先生プロフィール>

元プロ野球選手 1994年ドラフト2位でロッテに入団 1997年初の防御率2点台を記録。小宮山悟と共に「チームのダブルエース」となる 2000年日本代表シドニー五輪に出場 2001年松坂大輔を抑えオールスターのファン投票で1位に抜擢 引退後は、野球解説を勤める傍ら、「ジョニープロジェクト」を立ち上げ、自らを育ててくれた「野球」の更なる発展、普及活動に力を入れる元プロ野球選手)

谷口 浩美先生による「第81回 一燈塾」

講師/谷口 浩美先生

開催日/2009年5月

日本体育大学を卒業された後、旭化成に入社され、日本のマラソン選手の中でも、特に数々の輝かしい成績を残した谷口氏。しかし、その陰では、人一倍努力をしていた事実があったことは、あまり知られていません。

数々の輝かしい成績は、どうやったら勝てるかを常に考え、情報を集め、時間の使い道を徹底的に工夫した賜物なのです。 谷口氏にとって自分らしさとは、「喜んでくれる人がいる限り、走り続けること」 谷口氏が走ることによって、数多くの人々に感動を与えてきた事は、言うまでもありません。そんな谷口氏の信念を学ばせていただいた一燈塾となりました。

<谷口 浩美先生プロフィール>

元マラソン選手 東京電力長距離・駅伝チーム監督 日本体育大学では駅伝のエース 旭化成に入社し、1985年初マラソンの別府大分毎日で優勝 1989年東京国際、1990年ロッテルダム、1991年世界陸上で優勝 1992年バルセロナ五輪では転倒したが8位入賞 1997年引退 現在は東京 電力長距離・駅伝チーム監督 日本男子歴代6位

山口 良治先生による「一燈塾」

開催日/2008年9月
講師プロフィール/山口 良治氏(京都市立伏見高等学校ラグビー部総監督)

清水 秀雄先生による「第79回 一燈塾」

開催日/2008年8月
講師プロフィール/清水 秀雄氏((株)トップカルチャー 代表取締役社長)

片方 善治先生による「第78回 一燈塾」

開催日/2008年4月
講師プロフィール/片方 善治氏(国連開発 NPO法人 日本DEVNET協会 会長)

後藤 孝志先生による「第77回 一燈塾」

開催日/2008年3月
講師プロフィール/後藤 孝志氏(スカイパーフェクトTV メジャーリーグ解説者)

更家 悠介先生による「第76回 一燈塾」

開催日/2007年10月
講師プロフィール/更家 悠介氏(サラヤ株式会社 代表取締役社長)

三浦 雄一郎先生による「第75回 一燈塾」

開催日/2007年9月
講師プロフィール/三浦 雄一郎 氏(プロスキーヤー クラーク記念国際高等学校校長)

道場 六三郎先生による「第74回 一燈塾」

開催日/2007年3月
講師プロフィール/道場 六三郎氏(料理人)

山下 泰裕先生による「第73回 一燈塾」

開催日/2006年8月
講師プロフィール/山下 泰裕氏(東海大学体育学部教授)

小田 禎彦先生による「第72回 一燈塾」

開催日/2006年7月
講師プロフィール/小田 禎彦氏((株)加賀屋 代表取締役会長)

大谷 勝彦先生による「第71回 一燈塾」

開催日/2006年5月
講師プロフィール/大谷 勝彦氏((株)大谷 代表取締役)

藤田 史郎先生による「第70回 一燈塾」

開催日/2005年9月
講師プロフィール/藤田 史郎氏((株)NTTデータ シニアアドバイザー)

谷井 昭雄先生による「第69回 一燈塾」

開催日/2005年7月
講師プロフィール/谷井 昭雄 氏(松下電器産業(株) 特別顧問)

平山 征夫先生による「第68回 一燈塾」

開催日/2005年6月
講師プロフィール/平山 征夫 氏(前 新潟県知事)

前原 誠司先生による「第67回 一燈塾」

開催日/2005年5月
講師プロフィール/前原 誠司 氏(衆議院議員)

原 邦生先生による「第66回 一燈塾」

開催日/2005年3月
講師プロフィール/原 邦生 氏((株)メリーチョコレートカムパニー代表取締役)

三浦 雄一郎先生による「第65回 一燈塾」

開催日/2004年9月
講師プロフィール/三浦 雄一郎 氏(プロスキーヤー クラーク記念国際高等学校校長)

高橋 忠之先生、 木野 親之先生による「第64回 一燈塾」

開催日/2004年8月
講師プロフィール/高橋 忠之先生(元伊勢志摩観光ホテル支配人兼総料理長)
講師プロフィール/木野 親之先生(元松下電送社長)

紀里谷 和明先生による「第63回 一燈塾」

開催日/2004年7月
講師プロフィール/紀里谷 和明 氏(写真家・映画監督)

輪島 大士先生による「第62回 一燈塾」

開催日/2004年7月
プロフィール/輪島 大士 氏(元54代横綱/実業団アメリカンフットボール部学生援護会ROCKBULL総監督)

高橋 誠之助先生による「第60回 一燈塾」

開催日/2004年3月
講師プロフィール/高橋 誠之助 氏(財団法人松下社会科学振興財団支配人)

藤尾 秀昭先生による「第60回 一燈塾」

開催日/2003年11月
講師プロフィール/藤尾 秀昭 氏(致知出版社代表取締役)

木野 親之先生による「第59回 一燈塾」

開催日/2003年10月
講師プロフィール/木野 親之 氏(元松下電送社長)

渡部 昇一 先生による「第58回 一燈塾」

開催日/2003年9月
講師プロフィール/渡部 昇一 氏(上智大学名誉教授)

高橋 忠之先生による「第57回 一燈塾」

開催日/2003年8月
講師プロフィール/高橋 忠之 氏(元志摩観光ホテル総支配人兼総料理長)

青木 定雄先生による「第56回 一燈塾」

開催日/2003年8月
講師プロフィール/青木 定雄 氏(MKグループ オーナー)

具志堅 用高先生による「第55回 一燈塾」

開催日/2003年6月
講師プロフィール/具志堅 用高 氏(元プロボクシング世界チャンピオン)

大原 久治先生による「第54回 一燈塾」

開催日/2002年11月
講師プロフィール/大原 久治 氏(雪国植物園園長)

加藤 義和先生による「第53回 一燈塾」

開催日/2002年10月
講師プロフィール/加藤 義和 氏(加ト吉社長)

木野 親之先生による「第52回 一燈塾」

開催日/2002年9月
講師プロフィール/木野 親之 氏(元松下電送社長 日本情報通信総合経営研究所所長)

吉村 作治先生による「第51回 一燈塾」

開催日/2002年6月
講師プロフィール/吉村 作治 氏(早稲田大学教授)

上甲 晃先生による「第50回 一燈塾」

開催日/2002年5月
講師プロフィール/上甲 晃 氏(志ネットワーク 主宰)

村田 兆治先生による「第49回 一燈塾」

開催日/2002年3月
講師プロフィール/村田 兆治 氏(元プロ野球選手、野球評論家)

細川 佳代子先生による「第48回 一燈塾」

開催日/2001年11月
講師プロフィール/細川 佳代子 氏(スペシャルオリンピックス日本理事長)

松島 トモ子先生による「第47回 一燈塾」

開催日/2001年10月
講師プロフィール/松島 トモ子 氏(女優)

江夏 豊先生による「第46回 一燈塾」

開催日/2001年9月
講師プロフィール/江夏 豊 氏(元プロ野球選手)

小池 唯夫先生による「第45回 一燈塾」

開催日/2001年8月
講師プロフィール/小池 唯夫 氏(パシフィック野球連盟会長)

鬼塚 喜八郎先生による「第44回 一燈塾」

開催日/2001年7月
講師プロフィール/鬼塚 喜八郎 氏(株式会社アシックス会長)

山下 泰裕先生による「第43回 一燈塾」

開催日/2001年4月
講師プロフィール/山下 泰裕 氏(ロス五輪柔道金メダリスト)

稲田 二千武先生による「第41回 一燈塾」

開催日/2000年11月
講師プロフィール/稲田 二千武 氏(ファミリー社長)

具志堅 用高先生による「第40回 一燈塾」

開催日/2000年10月
講師プロフィール/具志堅 用高 氏(元プロボクシング世界チャンピオン)

松井 章圭先生による「第39回 一燈塾」

開催日/2000年9月
講師プロフィール/松井 章圭 氏(極真会館館長)

小島 直記先生による「第38回 一燈塾」

開催日/2000年7月
講師プロフィール/小島 直記 氏(伝記作家)

大島 精次先生による「第37回 一燈塾」

開催日/2000年6月
講師プロフィール/大島 精次 氏(上越ケーブルテレビジョン社長)

細川 護熙先生による「第36回 一燈塾」

開催日/2000年5月
講師プロフィール/細川 護熙 氏(元内閣総理大臣)

田中 トシオ先生による「第35回 一燈塾」

開催日/2000年3月
講師プロフィール/田中 トシオ 氏(美容師)

平仲 明信先生による「第34回 一燈塾」

開催日/2000年3月
講師プロフィール/平仲 明信 氏(元ボクシング世界チャンピオン)

米長 邦雄先生による「第33回 一燈塾」

開催日/1999年10月
講師プロフィール/米長 邦雄 氏(棋士)

東郷 行泰先生による「第32回 一燈塾」

開催日/1999年9月
講師プロフィール/東郷 行泰 氏(元米国トヨタ自動車販売社長)

藤尾 秀昭先生による「第31回 一燈塾」

開催日/1999年7月
講師プロフィール/藤尾 秀昭 氏(致知出版社編集長)

山下 泰裕先生による「第30回 一燈塾」

開催日/1999年6月
講師プロフィール/山下 泰裕 氏(ロス五輪柔道金メダリスト)

前原 誠司先生による「第29回 一燈塾」

開催日/1999年5月
講師プロフィール/前原 誠司 氏(衆議院議員)

下村 澄先生による「第28回 一燈塾」

開催日/1999年2月
講師プロフィール/下村 澄 氏(ビジネス情報センター会長)

衣笠 祥雄先生による「第27回 一燈塾」

開催日/1999年1月
講師プロフィール/衣笠 祥雄 氏(元広島東洋カープ)

中田 智洋先生による「第26回 一燈塾」

開催日/1998年12月
講師プロフィール/中田 智洋 氏(サラダコスモ社長)

鈴木 ひとみ先生による「第25回 一燈塾」

開催日/1998年10月
講師プロフィール/鈴木 ひとみ 氏(元準ミス日本代表、車椅子陸上競技大会金メダリスト)

小島 直記先生による「第24回 一燈塾」

開催日/1998年9月
講師プロフィール/小島 直記 氏(伝記作家)

天田 昭次先生による「第23回 一燈塾」

開催日/1998年7月
講師プロフィール/天田 昭次 氏(刀剣作家、人間国宝)

寺岡 直彦先生による「第22回 一燈塾」

開催日/1998年6月
講師プロフィール/寺岡 直彦 氏(日本料理てら岡代表取締役)

田舞 徳太郎先生による「第21回 一燈塾」

開催日/1998年5月
講師プロフィール/田舞 徳太郎 氏(日本創造教育研究所代表)

中村 啓次郎先生による「第20回 一燈塾」

開催日/1998年4月
講師プロフィール/中村 啓次郎 氏(元本田技研工業参与)

森 祇昌先生による「第19回 一燈塾」

開催日/1997年11月
講師プロフィール/森 祇昌 氏(NHK野球解説者)

北見 昌朗先生による「第18回 一燈塾」

開催日/1997年9月
講師プロフィール/北見 昌朗 氏(北見式賃金研究所所長)

青木 秀雄先生による「第17回 一燈塾」

開催日/1997年8月
講師プロフィール/青木 秀雄氏(MKグループ副会長)

恩田 多賀雄先生による「第16回 一燈塾」

開催日/1997年6月
講師プロフィール/恩田 多賀雄氏(出戸水栓社長)

佐々木 文雄先生による「第15回 一燈塾」

開催日/1997年5月
講師プロフィール/佐々木 文雄 氏(ダイニチ工業社長)

谷澤 忠彦先生による「第14回 一燈塾」

開催日/1997年4月
講師プロフィール/谷澤 忠彦 氏(弁護士 ルネス学園グループ代表)

加藤 勝美先生による「第13回 一燈塾」

開催日/1996年8月
講師プロフィール/加藤 勝美 氏(経済ジャーナリスト)

青木 定雄先生による「第12回 一燈塾」

開催日/1996年7月
講師プロフィール/青木 定雄 氏(MKグループオーナー)

白井 義男先生による「第11回 一燈塾」

開催日/1996年5月
講師プロフィール/白井 義男 氏(元プロボクシング世界チャンピオン)

間 垣 親方による「第9回 一燈塾」

開催日/1996年2月
講師プロフィール/間 垣 親方(元横綱 2代目若乃花)

松田 昌士先生による「第8回 一燈塾」

開催日/1996年1月
講師プロフィール/松田 昌士 氏(JR東日本社長)

松原 忠康先生による「第7回 一燈塾」

開催日/1995年11月
講師プロフィール/松原 忠康 氏(マツバラ社長)

川辺 清先生による「第6回 一燈塾」

開催日/1995年11月
講師プロフィール/川辺 清 氏(マルシングループ社長)

具志堅 用高先生による「第5回 一燈塾」

開催日/1995年9月
講師プロフィール/具志堅 用高 氏(元プロボクシング世界チャンピオン)

小島 直記先生による「第4回 一燈塾」

開催日/1995年7月
講師プロフィール/小島 直記 氏(伝記作家)

山下 俊彦先生による「第3回 一燈塾」

開催日/1995年5月
講師プロフィール/山下 俊彦 氏(松下電器産業相談役)

鍵山 秀三郎先生による「第2回 一燈塾」

開催日/1995年3月
講師プロフィール/鍵山 秀三郎 氏(ローヤル社長 現イエローハット(株))

上甲 晃先生による「第1回 一燈塾」

開催日/1995年2月
講師プロフィール/上甲 晃 氏(元松下政経塾副塾長)